地名は、単に場所を示す記号ではありません。
その土地の地形、風土、人びとのせ生活や信仰の姿、経済的、政治的条件など地域の文化や移ろいの歴史が深く刻み込まれています。
ここでは目黒の地名の由来をいくつか紹介します。
江戸時代の中ごろから、このあたり一帯では菜種の栽培盛んとなり、絞った菜種油は芝の増上寺や、その流れをくむ祐天寺の灯明用として使われていました。この油を奉納する事によって租税が免除されており、油免が「油面」になったと言われています。
別所は、一般に集落の本村に対して追加開墾を許された土地意味し、行き詰まりの場所を指します。上目黒の本村の川向こうにある急峻な傾斜地であるところから遅れて開墾された行き詰まりの土地であったことによりこの名がつきました。
もともと、畑と水田と林の田園地帯であったこの地は、昭和2年、東横線、大井町線が開通してから、大きくかわり、商店や住宅が建ち始めました。
地名の発端は、昭和2年11月に創立された「自由が丘学園」の名称と言われています。